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  • 執筆者の写真J&H HOME

9.11ニューヨーク同時多発テロ21年私はその瞬間ワールドトレードセンター25階で働いていました。

J&H HOME(株)小野弘志です。東日本橋は曇り。今朝は涼しい過ごしやすい朝でした。

昨夜はぐっすり眠れた気がします。

今日は9.11。セプテンバー・イレブンスと言われる日です。アメリカ同時多発テロ事件と

も言われます。 私事ですが、テロの瞬間私はテロで崩壊したワールドトレードセンターで

勤務していました。ジャンボジェット機が1WorldTradeCenter95階付近に突っ込んだ8:46ビルが大きく揺れたのを覚えています。私は当時金融の仕事をしていました。

揺れは地震のように下から突き上げるような揺れではなく、床というより柱が大きく揺れる感覚でした。電話が繋がったため東京の事務所に状況を報告、顧客に避難する旨を伝えました。ビルの中に居たため何が起きたのかは正確には分かりませんでしたが、向かいのビルで働く先輩から「小野のビルの上階が燃えているから逃げろ」との電話を貰って状況が分かりました。避難階段には多くの人が列を作って整然と非難をしていました。階段の半分をこれから上ってくるだろう消防士の為に空けて避難しました。電灯もついていたので安心感が

ありました。叫ぶ人、我先に逃げる人もおらず避難訓練のように落ち着いた避難でした。

途中ビルが大きく揺れる瞬間がありました。9:02ワールドトレードセンター南棟に2機目が突っ込んだと知るのは避難して自宅に帰ってからです。その頃消防士の方が階段を登って

きてすれ違いました。すれ違いざまに「Enjoy your half day(早退できてよかったね)」と

言われたのが耳に残っています。その後ビルが倒壊したことを思うとその消防士の方の笑顔

が胸に刺さります。避難階段を降りてビルの地下、ショッピングモールに出た時、事の重大さが分りました。床はスプリンクラーで水浸し、照明は消えていました。

警備の方が大きな声で東北の角の出口へ(一番ビルから離れた出口)誘導してい際

ウィンドーが割れているところもありました。地上に出た時の明るさ、空の青さ(雲一つない晴天でした)が忘れられません。人だかりができていて皆ビルを見上げていました。

時々「人が飛び降りている」との会話が聞こえましたが振り返ることなく立ち止まらず、

帰途につきました。自宅は対岸のブルックリンだったため橋を渡って歩いて帰宅しました。

その後はテレビでテロの事を知りビル倒壊の際は粉塵がイーストリバー対岸まで届き、

漆黒の世界になり視界が数分失われました。その音を忘れられません。

テロから21年目の今日、改めて思い出し、ブログに書き止める事にしました。

最近弊社を営業で訪問してくれる若い営業マンの殆どが2001年のテロを覚えていないと言います。それはそうです。20代であれば生まれたばかりです。

事件の風化は仕方ないと思いますが、少しでもあの惨事の記憶とその場にいた市井人の生き様を語り継ぐのが経験したものの努めではないかと思って今日もブログに書きました。

稚拙な文章で恐縮ですが、もし今日同時多発テロの事を話してくれるきっかけになれば

それは大きな喜びです。 どうぞよろしくお願い致します。

2022年9月11日

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